あっどうも、つむぎです。
詳細は伏せますけども。
実は、小学校の同級生が、ある分野で才能を発揮して活躍しています。
最近メディアに登場したりもして、脚光を浴びています。
大躍進
私は久しぶりの同窓会の席上、クラスメートの噂話で、その子が新進気鋭の若手として業界で注目されていることを知りました。
正直、小学校卒業以来、その子のことを思い出したことがないぐらい、あまり記憶に残っていない子でした。
そして今、仕事のうえで情報収集の必要があるのが半分、興味本位が半分で、その輝かしい彼の経歴や業績に関する記事を読み漁っています。
そしてそれらを読めば読むほど、モヤモヤした感情が湧いてくる。
比べるものではないけれど
彼とはあまり言葉を交わしたこともなく。
単純に家が近所で、たまたま同じクラスだったという共通点しかない間柄です。
それでも、同じ時間、同じ場所で過ごした彼が、今現在立っている「立ち位置」を意識せずにはいられません。
時間だけは誰にとっても平等ですから、彼がそこにたどり着くまでと、私が今ここにたどり着くまでには、同じだけの時間が経過しています。
その間、私はいったい、何をしていたんだろう。
ああ、そうか。就職して、結婚して、子どもを妊娠したんでしたね。
核家族で共働きをしながら出産と、子育てをしていたんでしたっけ。
毎日、それらに追われて追われて、今に至ります。
同級生の彼が、才能を認められ、脚光を浴びている「ひとかどの人物」になった一方で、私がなれたのは「お母さん」か…。
比べるものではないし、子どもを育てることも尊い仕事だって思うよ。
けれど、なんか、こう、ね。
なぜこんなにモヤるのか
彼と私の違いは何か。
彼のいる業界は、才能と実力だけで評価される厳しい世界。
そこへ飛び込んだ彼は、ただひたすら、やりたいことを突き詰めて、自分の感性を信じて進み続けた。
彼はたまたま成功しているけれど、それは氷山の一角、一握りの人たちだけ。
業界内は「食っていけない夢追い人」が山ほどいる世界です。
安定や生活の保障を重視して職選びをしてきた私とは、なんつうの、メンタリティからして違うんだろうな。
これといったパッションも持ち合わせてない私が選んできた仕事は、心の底からやりたいことでもなかったような気がします。
でも「食えない」ということはない。
夢と現実はトレードオフというか。
だから彼に対してモヤモヤする権利なんて私にはないんだけれども。
それでも私の中にも、軸となるようなものが何にもないから、キラキラ輝く元同級生の活躍を見ただけで、グラついてしまう。
かといって「悔しい、見てろ、今に私だって」とも感じないのですから、ある意味、私は私の平凡な人生に、満足しているってことなのかもしれません。
しかし彼はすごい
ついつい、華やかな世界にいる人って、勝手なイメージでさ。
もう、生まれつきの才能に恵まれて、子どものころや若い時から無敵だったって思いがちじゃないですか。
そういう人ももちろんいるんだろうけど、私の同級生はそういうタイプではなかったんですね。
だから余計に「○○くん、頑張ったんだなぁ」ってことがわかります。
子どもの頃を知っているからこそ、彼が努力の人だということが伝わってきます。
今になっての彼の活躍は、自分の好きなものを見つけて、志して、若いころからコツコツと積み重ねてきた結果。
誰だって不安だ
とあるインタビュー記事を読み込んでいく中で、そんな彼の不安がのぞいた瞬間がありました。
「自分もどこまでいけるかわからない。わからないけど、やっていくしかない」
みたいなことを言っていました。
注目を浴びるということは、それに伴う責任やプレッシャーも計り知れない。
彼にだって、押し潰されそうになることや眠れない夜もあるのだろうと思います。
そこから逃げずに踏ん張り続けている彼は、やはりすごい。
圧倒的に強く見える人も、軽々と障害を飛び越えてるように見える人も、キラキラ輝いてるスーパースターも、みんな不安と向き合いながら、絶対的な正解なんてない中で悩んで迷って考えて、時に立ち止まりながら前に進もうとしている。
才能があるか否かより、進むことをやめないこと。
それが何より大事だということを、かつての同級生の姿が教えてくれている気がします。
↓幸せかみしめよう
日常の小さなできごとを愛する生活
暮らしを楽しむ
楽しく&幸せに暮らそ!
コメント