ママ友が亡くなりショックで落ち込んでいます

アネモネ雑記

一昨日、息子の同級生のお母さんが、亡くなったという連絡が回ってきました。

保育園、小学校と一緒でした。

私と同い年のお母さんでした。

 

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闘病していました

保育園時代に

「ちょっと入院することになって、仕事辞めることにしたの」

と言っていて、しばらく姿を見かけない期間がありました。

その間は、近所に住んでいるという妹さんが送り迎えにいらしていました。

 

退院後は徐々に体力も回復して、卒園後もママ友のグループでランチしたり、一緒に出掛けたりしていたのですが。

ここ最近は学校のイベントでもお見かけすることがなく、お父さんが一人でいらしていました。

再び体調を崩され、闘っておられたのだそうです。

 

私も、身内である祖父母や、小学校の時の同級生、職場の先輩などの訃報に接してきたことはあります。

しかし同じ地域に住み、自分と同い年で、同い年の子どもを育てている、

いわば「いま自分とほぼ同じ境遇の人」の訃報は、

なんというか、心の揺さぶられ方が違う。

 

知らせを受けて、しばし呆然としてしまいました。

無念だと思います

自分がもし彼女の立場なら?

やりきれない。

そう思いました。

でも彼女は残念ながら、愛する家族を残して、先に旅立たなければならなかった。

この先まだまだ、息子さんの成長を見守っていきたかったはずです。

孫も抱きたかったはずです。

やりたかったこと、行きたかった場所、たくさんあったはず。

彼女の気持ち、ご家族の気持ちを想像するだけで、喉の奥が締め付けられます。

悲しみを乗り越えるにはどうしたら

もうかれこれ20年ほど前の話になりますけれども。

大学の授業に「死生学」というのがありました。

教授が、初回授業の冒頭、

「日本人の死亡率は今、何パーセントだと思いますか?」

と問いかけました。

 

学生が戸惑っていると、教授は教室を見渡して穏やかに微笑みながら、

「答えは100パーセント。人はみな、死にます。」と。

 

そこで初めて、「グリーフケア」という言葉を知りました。

身近な人と死別して悲嘆に暮れる人が、その悲しみから立ち直れるようそばにいて支援すること。

 

この授業、正直に告白しますと、

20歳かそこらで「死」というものが身近になかった当時の私にとっては、

そこまで深い学びにならなかったような気がします。

ふんふん、なるほど、と講義を聞いて、レポートを提出し、単位を取ることで終了です。

結局当時は、「自分ごと」としてとらえられなかったのでしょう。

今、この話を、この授業をもう一回聴きたい。

年齢を重ねて、想像するだけではなく、体験してきたことがあったうえでの学びは、

当時とは質の違うものになると思います。

どう生きようか

身近な亡くなった方の無念さを思うと、とても陳腐に聞こえてしまうかもしれませんが、

「ちゃんと生きよう」と思い直します。

 

近ごろ少し、

「もう無理かな…」とか

「しんどいな…」とか

「めんどくさいな…」とか

「もういい年だからな…」とか思うことが、仕事でもプライベートでも多くて。

 

そんなこと言ってる場合じゃないと。

ちゃんと真剣に自分の人生と向き合って、悔いのないように生きなくちゃ、と。

 

ですが、まだ訃報を聞いたショックから立ち直れてはおらず、

ママ友との思い出を思い出すたびに、涙が出てきます。

 

死生学の授業で20年近く前に習ったことですが、これは覚えていました。

この悲しみの感情にはフタをしない方がよいということ。

悲しい時には時間をかけてどっぷり悲しみに浸ることが、立ち直るためには必要なプロセスだということ。

急いで前を向くことは無理にせず、もう少し彼女とのお別れに時間をとりたいと思います。

 

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プロフィール
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都内在住のアラフォーのワーママ。
フルタイムのオフィスワーカーです。
夫と男児2人(中学生と小学生)の4人家族です。

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