はい、どうも。
つむぎです。
男子2人を育てております。
最近は、新一万円札の顔としても注目される、渋沢栄一を主人公とした大河ドラマ「青天を衝け」を家族で見ています。
大河ドラマを見ていたら
前回の放送で、のちに渋沢栄一の妻となるお千代という若い女性が、兄に論語の一節について「どういう意味か教えてほしい」と尋ねるシーンがありました。
兄はこう言います。
「おなごのお前がそんなもの知ってどうする」。
その時、わが家のリビングでは、夫が次男に向かって、
「そんなのおかしいよね」と一言。
ドラマの中でもお千代が
「おなごだて人だに。千代も人として、ものの理をちっとでも知っておきたいと思っただけです。」
と反論します。
幕末のこの時代、実際はどうだったか知りませんけども。
ドラマの中では、兄も「千代の言うことは最もだ」と考えを改め、今後は暇があればお千代に論語を教えることを約束します。
「そうだよ、女も人なんだよ」とソファに座って黙ってうなずく私。
夫は次男に「昔の日本ではこういうことを平気でいう男の人が多かったけど、女の人だから勉強しちゃいけないなんておかしいよね」と繰り返していました。
夫がそういう態度を取るようになったのはつい最近です。
そうですね、森さんの失言が大炎上していたあたりからでしょうか。
ちょっとしたターニングポイントがありまして。
まぁ、彼が、地雷を踏んだわけですよ。
戦いのゴングが鳴り響く
森さんの発言はひどいけど、謝罪会見はもっとひどかったね、という話を夫婦でしておりまして。
令和の時代に、まだこんな寝言をほざく老害が生きておったのかと、私はその数日ずっと不機嫌で。
私の機嫌の悪さには、森氏の発言に対する怒りはもとより、構造的な女性差別がまったく改善されていない国・ジャパンに対する苛立ちも含まれていました。
そんな中、うっかり夫が言いました。
「でも女の人にもさぁ、レディースデイがあるもんねぇ。」
はい来た、来ました。
この一言で私の中でスイッチが入りました。
この目の前にいる男は、ボコボコにしてOK。
私の本能がそう言っている。
男女平等の問題で何かあると、
「レディースデーがなくなってもいいんだな?」
ってドヤってくるバカがいるけどさぁ。
この国ではなぁ、つい最近まで優秀な医学部志望の女子学生を不当に不合格にしてたんだよなぁ。
未だに企業の就職説明会のサイトに女性で申し込むと満席と表示されて、男性で申し込むと空きが出るような不平等が横行してんだよなぁ。
女性を面接する時だけ、結婚がどうたら、子どもがどうたら聞いてくるんだよなぁ。
生涯にわたって賃金格差がこれだけあるんだよなぁ。
育休取得も男女でこんなに差があるんだよなぁ。
子育て介護で仕事を辞めるのはほとんど女性だよなぁ。
優秀でない男の議員や重役なんて腐るほどいるのに、女性の役職者の割合の話になると急に優秀さを女性に求め出すんだよなぁ。
構造的にアンバランスな世の中だと思わないかい?
女性の能力を測ろうとする尺度自体が、男性基準で作られていることだっておかしい。
スタートラインからハンデだらけだし、コース途中の障害物の数も難易度も違うのに、それらを何一つ改善しないまま、同じタイムでゴールしろって言われる側の気持ちを考えたことがあるかい?
それらすべてを踏まえた上で、だ。
そのカウンターとして、天秤の反対側にお前が乗っけようとしてんのが、女性をターゲットにする企業のマーケティング戦略による、たかだか1回数百円ぽっちの割引額たぁ・・・
正気で言ってんのか、ゴルァァ!
レディースデーごときで、女が被ってる雇用・賃金格差問題、社会的な不平等が埋まるわけないだろうがぁ!
寝言は寝て言えって、いつも言ってんだろうがぁぁぁ!
夫、しゅんとしてましたね。
まくしたてる私を前に、うっかり地雷を踏んだことを明らかに後悔している顔でした。
でも効果はあったようで、冒頭のような場面に日常の中で出くわした時、私がブチ切れるより先に「アレはないわ、間違ってる」と子どもに言うようになりました。
私が通る道を先回りして、地雷撤去しているみたいです。
とてもいいことだと思います。
私もキレた甲斐があるというものです。
母ちゃんは激おこだ
以前から私も「わきまえて」おりませんもので。
女性に対し失礼なことを言うアニメキャラに対してさえ、真摯な対応を心がけてまいりました。
アニメの鬼滅の刃を家族で観てて、若い女性を襲う鬼が「16歳を超えた女は醜く不味くなる」というセリフのところで画面に向かって中指を立て、家族に苦笑いされた母親です。以後お見知り置きを。
— つむぎ (@tsumugiblog) May 17, 2020
この国では放っておくと、ジェンダーバイアスまみれの言動が勝手にお茶の間に流れ込んできてしまう。
ドラえもんの「きゃーのび太さんのエッチー」もそうだし、性役割の固定化されたアニメもそうです。
子どもたちが目にするものをすべてジェンダーバイアスのないものにすることは不可能。
ではどうするか。
家族でテレビを見ている時、特に女性の人権や尊厳が踏みにじられていて、それに対する相応のフォローが行われていない場合、非常に原始的かつ稚拙な方法ではありますが、私はとにかくガチギレすることにしています。
咄嗟に理路整然とした反論が出てこなくてもいい。
「うっせえ、バーカ!バーカ!」でもいいと思います。
とにかく、こういうことをしたら母さんの逆鱗に触れる、というところを男子たちに見せることが大事です。
たとえばバラエティでも。
男性MCが失礼な言動をしていても、その場にいる女性の共演者が黙って苦笑いしている場合もあるからです。
特にシーフードパイセンとかね(誰のことを言っているかわからない人はググってくれ)。
黙っているしかない女性の共演者本人に、嫌だと思うんなら反論せよと言うのは酷です。
面と向かって失礼なことを大物男性MCから言われても、咄嗟に言い返せない気持ちはよくわかる。
言い返してスタジオの雰囲気悪くしたら、次から呼ばれないかもしれない。
彼女らにしたら死活問題。
でも、そうやってアウトな発言がそのまま放送にのって流されてしまうから、
長いことそれが普通で当たり前の光景だったから、
男性には女性が差別されていることが「見えてこなかった」のではないですかね。
女性の容姿や未婚であることをネタにしても、誰も怒っているように見えないから。
もしくは怒っている女性は、田嶋陽子先生みたいに特殊なケースで、笑い物みたいに消費されてしまうから。
あるいは、失礼な言動をされても周りの空気を悪くせず、スマートに受け流せる指原さんみたいな女性を持ち上げる風潮があるから。
本当は失礼なことを言われて悔しい、言い返したいと思っている。
そもそも失礼なことをされる筋合いがない。
顔では笑っていても、心の中では不当な仕打ちに怒っているんだということを誰かが見せてやらないと。
そうしないと、うちの男子たちもまた、世に蔓延る女性差別に鈍感になってしまう。
すぐに「だって女にはレディースデイが」とか言い出すクソバカ男として世に放たれてしまうでしょう。
あなおそろしや。
そんな世の中は終わらせないといけない。
見えづらいものを見せている
だから代わりに私が怒っています。
「何言ってんのこいつ、ありえない」
「だまれクソジジイ」など、
育ちの良さが反射的に出てしまうこともあります。
少し冷静な時は
「こんな風にからかったり、いじったりするのは間違っている」
「今あのおじさんが言ったことは大変失礼なことであるし、人権問題である」
と指摘します。
笑っている芸能人と、家の中で怒ってる母ちゃんのギャップが大事です。
見えていない差別って「相当気をつけていないと僕たちには気づきにくいんだ」ということが伝わるからです。
それでも、息子たちがこの先触れていくコンテンツには、もっと過激なものも含まれるようになるでしょう。
すべてをブロックすることはできません。
年齢が上がるにつれてコントロールもできなくなっていきます。
だけど、
「リビングで一緒にテレビ見ていたあん時、母ちゃんすげえ怒ってたなぁ」
という記憶が、彼らの中に残っていたらいいなと思うのです。
母ちゃんが激高していた時と似たよう場面に出会った時に、なんの違和感もなく流れていってしまうのか。
それとも、ほんの少しでも居心地が悪く、間違っているような気がするのか。
「これは地雷なんじゃないか」という嗅覚。
そのとっかかりを息子たちの中に作ることが大事かなと思うのです。
だから家庭の中で、誰かが地雷を踏めば私は怒ります。
そして夫は、私が爆発するのを未然に防ごうと気を回している。
息子たちの心には、
「ああ、父ちゃんは母ちゃんが怒らないように、気を遣ってたなぁ」
っていう記憶も、一緒に残っていてほしいです。
男の人も、その辺を「わきまえる」ぐらいでちょうどいいんじゃないですか。
さぁ、こんなヘンな環境で育ったうちの息子たちは、どんな大人になるのでしょうね。
↓大きくなれよ。
**男の子のママ・パパ**
子どものいる暮らし。
子育てを楽しもう♪
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