先日、母方の祖母(以下、おばあちゃんと呼びます)が、息を引き取りました。
最後はほんとにちっちゃい、かわいいおばあちゃんになってました。
棺の中でたくさんの花に囲まれて、安らかでした。
優しかったなぁ
優しくて大好きだったおばあちゃん。
私たちが遊びに行けば、食べきれないほどの料理で、もてなしてくれたおばあちゃん。
もうお腹いっぱいだよと言っても、「あれ食え、これ食え」とフードファイター並みに食べさせようとするおばあちゃん。
もう、本当に、まじで無理…というと、これでもかという量のタッパーに料理を詰め込んで持たせてくれたおばあちゃん。
怒っているところを見たことがありません。
たくさん可愛がってもらいました。
愛情をいっぱいもらいました。
何をしても、何を言っても、優しく包み込んでくれたおばあちゃん。
母も、子どものころからおばあちゃんには怒られたことがない、と言っています。
最後は老人ホームに入っていたので、会う機会が減ってしまっていましたが。
もっと会いに行けばよかったなぁ。
えーん。
さよなら、おばあちゃん。
おばあちゃんの後悔
そんなおばあちゃんが後悔していたことは、「もっと若い時に勉強したかった」ということ。
もともとは勉強が好きな女の子だったそうです。
おばあちゃんは東京生まれですが、小学生の時に疎開しました。
戦争で学校の勉強もままならず、戦後も家の事情で東京に戻れず、すぐに働かなければならず。
じゅうぶんな教育の機会を与えられたとは言えない状況でした。
周りも生きるのに精いっぱいで、若い時から苦労したそうです。
田舎でおじいちゃんと結婚し、子どもを育てました。
地域の活動をしながら、定年まで町工場で働き、自宅の庭で野菜も作って暮らしていました。
おばあちゃんとの思い出
ある年のお正月に、私が
「小学校でローマ字の書き方を習った」というと、
おばあちゃんから
「読み方を覚えたいから教えて」
と言われました。
企業の名前や看板など、ローマ字表記を習っていないので、なんと書いてあるのかわからなかったのだそうです。
常々、それを「読みたいなぁ」と思っていたのだそうです。
「あ」は「a」、「い」は「i」…という一覧表を、カレンダーの裏側に作ってあげると、おばあちゃんはそれを、黙って、じーっと見つめていました。
そして次の夏休みに遊びに行ったとき、
「作ってくれた表を見て毎日練習したら、ちゃんと読めるようになったんだよ」
と誇らしげに報告してくれました。
「えーと、ほら、て…、てーいーきょー」
と、テレビの中の高校球児のユニフォームのローマ字を、一生懸命読んでいました。
「すごいじゃん、おばあちゃん!」というと、
本当にうれしそうに笑いました。
あかん、書いてて涙出てきた…。
うわーん!
おばあちゃーん!!
死ぬ瞬間の5つの後悔
年をとり、体が思うように動かなくなって、
「ああ、そろそろ自分にもお迎えが来るのかなぁ…」
というタイミングは誰しもに訪れる。
こちらの本によれば、そんな死を目の前にした人の後悔は、だいたい5つにまとめられるんだそうです。
詳しくはお読みいただけるといいのですが、私が特に刺さったのは、5つの後悔のうちの一つ、
「他人の期待に応える人生でなく、自分に正直な人生を生きればよかった」
というやつですね。
世間の目とか、失敗への恐れとか、自信のなさとか、いろんな理由をつけて諦めてしまったことがあって。
人生の道半ばにきて、
「あれ、若い時にやっておけばよかったな…」
という後悔に変わりつつある。
そして私の場合は、おばあちゃんの時代と違って、選択肢があったにもかかわらず、自分を誤魔化してここまで来てしまった、という後悔です。
まぁ、今のように夫がいて、子どもがいて、持ち家があって、やりがいのある仕事もあって、と恵まれているからこそ、そう思えるのかもしれませんけど。
精神的にも余裕のなかった氷河期時代に、そんな選択ができたとは思えませんけど。
最近思うのは、今さらプロフェッショナルになりたいとかではないんだけど、自分がスッキリするまで、やりたかった事をしたいな、という思い。
このまま、今のような毎日を続けていたら、ずっと心残りを抱えたままになりそうで。
おばあちゃんがローマ字の読み方を覚えたのは、60歳になるちょっと手前あたりだったでしょうか。
そこからでも、新しいことを学ぼうとしたおばあちゃん。
負けていられない、という気がします。
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