東大での祝辞で、あのころの自分を恥じる

子育て

少しの間、考えていました。

東大入学式の上野千鶴子先生の祝辞。

 

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面白かった

全文を読んでみると、いや実に面白かった。

最高学府でこんなにラディカルな祝辞をするって。

やるじゃないですか、東大。

いや、これを入学式で新入生に聞かせるって、結構なことですよね。

その後に巻き起こった論争を見ていると、こうなることもわかっていて、一石をぶち込んだのかな、などと考えたりします。

思い出しちゃった愚かな自分

あの祝辞の中に出てきた、東大入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えないという話について。

ふと思い出したことがありました。

もう約20年も前の話になりますが。

 

私の通っていた高校からは毎年2ケタの東大合格者がいました。

高校時代、これといって特別やりたいこともなかった私。

部活にも入らず、暇な時間に勉強ばっかりしていたせいで、気づいたら高校の中でも結構な成績上位群におりました。

そして季節は進路希望の紙を提出するころになります。

担任の女性教諭が私のところにやってきて言いました。

「東大、受けないの?」

志も将来プランも自尊心も何もなかった私は

「いえいえ、東大なんて滅相もございやせん」

と、ヘラヘラ笑っていました。

「狙えるのに?」

その時の残念そうな担任の顔。

 

東大の女子学生が大学名を知られたら、周りの男性から引かれるので極力隠している、という現象があるのは、当時の私も理解していました。

そしてそこに飛び込もうとか、立ち向かおうとは、どうしても思えませんでした。

 

「女で東大に行くって、ちょっとなんか、微妙じゃない?」

東大女子の方が聞いたら、気を悪くされるでしょう。

本当にごめんなさい。

まったくもって失礼な話だと思います。

自分が恥ずかしいです。

今の私が、当時の私のもとへタイムスリップしたら、

「この愚か者めー!」

とクロスチョップからの四の字固めですね。

いや、むしろアイアンフィンガーフロムヘル地獄突きですね(どんな技かはよく知りませんが)。

でも、本当に申し訳ないけど、東大受験を勧められた当時高校生だった私の、素直な感想がそれでした。

何考えてたんだろう、私

あの時なんで、あんな風に思ったんだろう。

いったい女が東大に行くことの何が微妙だと感じたんだろう。

自然にそう思ってしまう状況を、どうして気にも留めなかったのだろう。

 

結局私は「男性を脅かさない」感じの私立大学へ進みます。

厄介なのは、「東大は受けない」という選択を、自由意思だと私自身が思っていたことです。

どの大学を受験するか、その選択にあたっては、他人から意欲をくじかれるようなことを直接言われたわけではありません。

むしろ担任の先生は、背中を押そうとしてくれていたわけですし。

 

そんなありがたい状況にも関わらず、自分から、東大は

「なんとなく、それはちょっと」

と感じ、その理由を深く考えることもせず、自分の進路は自分で選んでいると思い込んでいました。

それだけ根深く、社会が女子に要請する価値観を、私が取り込んで、内面化してしまっていたということかもしれません。

恐ろしいですね。

 

そんな目に見えない仕組みに気づかないのは、知性がなかったのだと思います。

その時点で、東大に入る資格など元からなかったのかもと思います。

そもそも、進学校の中でたまたま成績が上位だったというだけですから、受けても合格できたかは別の話です。

多分、世間のなんとなくの雰囲気に流されるようなアホには、熾烈な受験競争を勝ち抜くことなんてできなかったでしょう。

私大でぼーっと4年間を過ごし、何も考えずに就職した私。

このブログをお読みの方はお気づきの通り、過去に一瞬でも東大を狙える学力があったとは、到底信じられないほどのヘッポコぶりを発揮する毎日を送っています。

何もしないとどうなるか

さて、進んだ大学にもちろん上野先生はいませんでしたが、女性学の授業はありました。

ジェンダーロールとかバイアスとか、それまで漠然としていた事象をクリアに説明できる言葉の存在を初めて知り、「はー、そういうことだったのか」ということを、理解はしたかもしれません。

でもじゃあ、その社会の歪みをどうにかしよう、という行動に出たかといえば、そうではありません。

何もしませんでした。

そういう意味では、私もこの社会の歪みに加担しているんです。

「東大女子2割以下」の現実を再生産し続けて、助長している側の人間です。

 

ハリーポッターのハーマイオニーこと、女優のエマ・ワトソンが国連のスピーチで引用した、イギリスの政治家の言葉がこれです。

邪悪な勢力が勝利するのに必要なのは、善良な男女が何もしないことだけだ。

あの祝辞は本来、今年東大に入学した新入生に向けられたものかもしれませんが。

それ以上のインパクトを社会に与えたと思います。

あの祝辞を批判している「勢力」に対してだけでなく、何もしないでこれまでやってきた、「善良な男女」に対しても。

少なくとも、悪意のないつもりで生きてきた、ここにいるアラフォー女の胸にはグサッと刺さりましたよ、上野先生。

子育てで一番大事にしたいこと

同時に、子どもを持つ親として、考えさせられるスピーチだったなと思います。

頑張れば報われると思えるメンタリティこそが、恵まれた環境のおかげ。

世の中には自分と違う境遇の人たちがいる。

そういう想像力と感謝の気持ちを、子どもの中に持たせるって、子育てで一番大事なことなんじゃないかと。

必ずしも、東大生じゃなくてもね。

 

わが家は男子2人。

共働きであり、夫婦の関係は平等です。

家事育児の負担もバランスが取れていると思います。

お手伝いポイントをダシに子どもを顎で使い、家のことを手伝わせて私はだいぶ楽をしています。

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男も女も関係なく、当然のように仕事をして、当たり前に家事もする。

自分の親世代に比べれば、少しはましなモデルを示せていると思っています。

でもそれだけでは、ダメなような気がします。

そういうことじゃ、ないような気がします。

 

高校生になるまでに、自分の中で「当たり前」になってしまっていた価値観に私が気づけなかったのは、「そんなのおかしい」という人が身近にいなかったから。

私たち夫婦が「善良な男女」だったとしても、何もしない状態では、現状がどこまでも続いて繰り返していくだけです。

女の子が欲しかったけど残念ながらいないので、親として直接、励ましたり導いたりして彼女たちの将来を応援することはできません。

男子2人の母親である私には何ができるだろう。

合コンで自分より高学歴の女子に引いてしまうような、器の小さい、くだらない、クズみたいな男にならないように育てるには、どうしたらいいんだろう。

逆に、男であっても、世間体や男性らしさに縛り付けられない生き方ができることを、どうやって教えたらいいんだろう。

 

疑問に思うことに対して、もっと自覚的にならないといけない。

社会の歪みに敏感でい続けなければいけない。

そしてもし子どもたちが、恵まれた環境に胡坐をかいて、他人を貶めるような言動をしていたら、上野先生のような鋭さでそれを正せるようにならなければ。

とりあえず、このあたりの本でも読み直しますか。

 

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プロフィール

都内在住のアラフォーのワーママ。
フルタイムのオフィスワーカーです。
夫と男児2人(中学生と小学生)の4人家族です。

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