もうすぐ最終回を迎えるNHK連続テレビ小説『半分、青い。』
私はまったく見たことがないのですけど、結構ハマる方多かったみたいですね。
気になる物言い
ヒロインの永野芽郁ちゃんは好きな女優さんの一人です。
そんな彼女の演技を、脚本を担当した北川悦吏子さんが絶賛したとか。
「永野さんについては、正直、ここまでやってくれるとは思わなくて、びっくりしています。彼女は、ただのかわいいアイドルではなくて、大竹しのぶ!でした。凄い女優です。」
ん?
んん?
全米オープンテニスで優勝した大坂なおみ選手は、アメリカでも大人気で、向こうの有名テレビ番組でも引っ張りだこです。
そんな彼女がアメリカ版「徹子の部屋」と言われる(私のイメージでは黒柳徹子っていうよりも上沼恵美子の方が近いと思うんだけど)、The Ellen DeGeneres Showに出演した時のこと。
司会のエレンは彼女のことをヤング・セリーナのようだったと評しました。
ん?
んんんー?
かなり前の話ですが、武田鉄矢さんが金八先生で上戸彩さんと共演した時は、
「キミは山口百恵の再来だ!」
と褒め称えていました。
その時も思いましたね。
んんんんー?って。
それ褒めてんのかな
言われた方の若い女性に共通するのは、
「ええー!そうですかぁ?そんなこと言ってもらえるなんて光栄ですー。」
みたいにはならないんじゃないかなぁってこと。
言っている方は賛辞を贈っているつもりでも、言われた方からすれば、「まるで誰々みたい」と言われることは、決して気持ちのいいものではないんじゃないかな。
特に、個性や存在感を大事にしなきゃいけない女優さんやタレントさんなら、なおさら、ねぇ。
スポーツ選手だって、最終的には世界の頂点に立つために日々のつらいトレーニングも頑張ってるはず。
なおみ選手はセリーナ選手に昔から憧れていたとはいえ、実際、決勝でセリーナ選手より優れていたから、そこに座ってるわけで。
自分が下した対戦相手に例えられるって、正直微妙じゃない?
思うに、おばさん・おじさんの感覚で「昔のあの人はすごかった」みたいな思いが先行しちゃうと、こういうトンチンカンな褒め言葉もどきを言ってしまうのでしょうね。
あの頃を知らない、または実感の薄い若い世代には、それじゃ伝わらないしね。
実際、デビューしたての上戸さんは「はぁ、そうですか…」みたいな感じでピンときてなかったみたいでした。
ワンアンドオンリーを目指す人に向かって誰々みたいというのはかえって失礼だとも思います。
だって彼ら彼女らは、その先、その上を目指しているわけだから。
憧れの人を目指すことのデメリット
逆にね、すでにいる成功者を目指して、「あの人みたいになりたい」と目標を定めすぎるのも良くないですよ。
その目標にしている人が現在の地位にあるのは、たまたま時代が良かっただけだった可能性もあるし、同じことやっても同じ成功を再現できる保証はないし、いつも誰かと比べられてむしろマイナスだし。
2匹目のドジョウというのは、往々にして成功しないものです。
だからね、彼がいまいち鳴かず飛ばずで活躍できないのは、仕方がない。
「1億人の心をつかむ男」新人発掘オーディション~21世紀の石原裕次郎を探せ!~で頂点に立った彼ね。
これは彼に非はないですよ。
周りの大人がひどい。
オーディションの名前もひどい。
一億人の心をつかむって、大風呂敷広げすぎ。
価値観が多様化している現代の日本で、誰にもこんなことできるわけないんですよ。
「絶対、これからこの子、売れまっせ―。石原裕次郎並みに映画にテレビに活躍して、大人気になりまっせー。もう、女性はみんな彼のとりこ、男性も彼のカッコ良さにあこがれる。そんなスター誕生でっせー!」
って、出てくる前から煽りに煽ってハードル上げられたら、やりにくくてしょうがなくない?
で、結果そんなに売れることもなく、こんな場末のブログのネタにされちゃう徳重くんだってかわいそうだと思わない?(なら取り上げるな)
むしろ、第二の石原裕次郎で思い浮かぶのは
どっちかっていうと
こっちじゃない?
いずれにしても、若い才能を見て、「誰々の再来」「第二の誰々」という言い回しを使いたくなったら、それは老化の始まりだってことを自覚しましょうねってこと。
↓全国のワーママ奮闘中
↓応援クリックお願いします。押していただけると励みになります。
コメント