ああ、どうも、つむぎです。
本当はこのタイトルで、全然違う内容の投稿を書こうとしていて、ほとんど出来上がってたんですけどね。
たまたま今朝読んでいた本に、これとまったく同じフレーズが登場して。
なんていうか、不思議な巡り合わせだな、と思って書き直しました。
すべての悩みは人間関係
40を過ぎてもなんだか土台の定まらない生き方をしている私です。
それゆえ、いろいろと悩みは尽きない。
「人生における悩みのほとんどは、人間関係にある」
というのを、以前アドラー心理学かなんかの本で読みました。
いやいやそんな。
自分はもっと「キャリア」だったり「お金」だったり、人間関係とは違う現実的なことで悩んでますよぉって思ってたんです。
期待に合わない「ズレ」が苦しい
でも、キャリアっていうのも一緒に働く人や上司、転職するなら採用してくれる人に「どう思われるか」という視点が絡んでくる。
「お金」のことだって、普通に働けてて何も心配いらないはずなのに、もっともっとお金がないと…って考えるのは、自分自身が劣等意識を持たずにすむように、という考え方と決して無縁ではないな、と思って。
言われてみれば人との関わりがあるからこその悩みと言えるのかも。
さらにその原因を突き詰めていくと、結局のところ「こうあるべき姿」と「実際の姿」のギャップから悩みが生まれてくるんじゃないかと。
目下の大きな課題である子育ても、子どもという相手に対して「こうあってほしい、こうしてほしい相手」と「実際の相手」とのギャップだったりする。
他人だけじゃなくて、自分についてもね。
何かを目指そうとするとき、「こうなりたい、ありたい自分」というのは周りとの関わりの中で作られていくものだし、そういう理想像と「実際の自分」とのギャップで苦悩しますし。
けっこうこれまで、こういう相手や自分の「期待する姿」と「現実の姿」のズレに、勝手にイライラしたり、がっかりしたり、落ち込んだり。
思えばだいぶ振り回されてきたなぁ。
ある方のエッセイで、そんなストレスから解放されたきっかけとしてこんな詩が紹介されていました。
「ゲシュタルトの祈り」
わたしはわたしのことをやる。
あなたはあなたのことをやる。
わたしはあなたの期待に沿うために、
この世に生きているわけじゃない。
あなたはわたしの期待に沿うために、
この世に生きているわけじゃない。
あなたはあなた。わたしはわたし。
だけど、もしわたしたちが互いを必要としているなら、
それは素晴らしいことだね。
しかし、もしそうじゃなければ、
それはそれでしかたがないこと。
(フレデリック・S・パールズ)
ドイツの精神科医が作った詩だそうです。
たしかに。
誰のための人生を生きているのかわからなくなっちゃって相談に訪れた人に響きそうな詩だ。
自分の人生を大事に
私には私のやりたいことがある。
あなたにもあなたのやりたいことがある。
ぴったり完全一致することはまずない。
重なっている部分で協力できるならやりましょう。
できないのなら仕方ないですね、そういうものだと割り切りましょう。
だいぶドライな感じがしますけど、これぐらいのスタンスでいた方が人生ラクなのかな。
本当にストレスから解放されてラクに生きられるようになるなら、ぜひ取り込みたい考え方だわ。
ついつい「こうあるべき」という考えが、相手を、自分を、追い込んでしまいがち。
この詩をスマホ画面の待ち受けにして毎日見えるようにしていたら、身についていくかしら。
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